「みちのくあじさい園」の経営で名所となった林業事業
2020/01/24
長期的なスパンで経営しなければならない林業事業。森林を利用した別のビジネスを展開し、短期利益を稼ぎだして本業を支えているケースも少なくない。今回はそのうちの1つ「みちのくあじさい園」について紹介する。(前編)
森林が霞むほどの
鮮やかなあじさい畑
岩手県一関市にある「みちのくあじさい園」は不思議なところだ。約15ヘクタールのスギ木立の林床がアジサイで埋まっているのだ。約400種4万株のアジサイが植えられている。
6月から7月いっぱいは花盛りで多くの人が訪れる。林内の散策路は約2キロになるが、そこを歩くと時に見上げるばかりの高さに伸びたアジサイが咲き誇っていて、スギの存在を忘れてしまう。
通常のアジサイの名所と言えば、広々とした庭園だろう。しかし、ここは林業地なのである。山林所有者であり、園主の伊藤達朗さんは、農水省が「地域林業を先導する中核的な存在」とする指導林家であり、国土緑化推進機構認定の「森の名手・名人」にも選ばれている。また経営総面積県内1位の一関地方森林組合の組合長も勤めた。
では,なぜ篤林家の伊藤さんはスギ林にアジサイを植えたのか。そしてアジサイ園を経営するようになったのか。ここに、今後の林業経営のヒントを含んでいるように思う。
伊藤家は約50ヘクタールの山林を所有し、代々林業を営んできた。伊藤さんは、大学卒業後は東京で3年間勤め、一関市にもどってからも最初は会社勤めをしていたが、やがて林業に力を注ぐようになる。
伊藤達朗氏:「ただスギ林は変化が乏しい。林内で作業していても寂しいから景色を賑やかにしようと、林床にアジサイを挿し木してみたんです。」
アジサイは、林間でもよく育つのだ。土質も合っていたようだ。またスギを伐採すると倒した木に潰されるが、強くてすぐ回復するから、さほど気にならないという。
やがて様々なアジサイを植えるようになる。アジサイ研究家を訪ねて信頼を得ると、彼が日本全国から集めたヤマアジサイの種類を分けてもらえるようになった。今や日本有数のアジサイの種数を栽培しているほどだ。
あじさい園を始めた経緯
ただし、これはプライベートな楽しみだった。あくまで自分のために行ったことである。ところが、いつのまにか世間に「すごいアジサイの名所がある」と知られ始め、毎年花の季節に人が大勢訪ねてくるようになった。しかし、作業中の森に人が勝手に入ったら、危険な上に作業にも支障をきたす。
そこで森の一部を「みちのくあじさい園」として整備して入場料をいただく代わりに、駐車場やトイレ、休憩所を設置した。アジサイを見て歩く遊歩道もつくった。足の悪い人向きにカートも用意した。やがて軽食を出し土産物も用意するようになった。
花の集客力はバカにならない。山間部にあるみちのくあじさい園も、近年は年間数万人が訪れるようになっていた。そこで本格的にアジサイ園の経営に力を入れるようになった。思えば大都市の近郊や京都・奈良の寺院など、各地にサクラやウメ、ツツジ、ツバキ、ハス、ボタン……と様々な花を売り物にしている名所がある。彼らの入場料収入に加えて飲食や土産物の購入などによる経済効果も大きかった。
林業は、長期的なスパンで経営しなければならない。植林してから最初の間伐材が収入になるまでに早くても20年はかかる。主伐までには50年以上、さらに100年単位で考えないといけない。もし、その間に短期収入を得られる事業があれば林業も安定して経営できるようになるだろう。
実は、そうした経営努力をしている林業事業体もそれなりにある。まったく違った業態の経営(酒、味噌醤油などの醸造業や飲食業、ファッション業など)などに進出するところもあるが、森林を利用した別のビジネスを展開するケースも少なくない。
たとえばシイタケやナメコ、シメジなどのキノコ栽培は珍しくない。さらに薬草や山野草の苗などの栽培のほか、キャンプ場経営もある。ここで短期利益を稼ぎだして本業を支えている。そんなバラエティの中にアジサイなどの観光花園も位置づけられるだろう。
これは何も林業を諦めたわけではない。林業を木材生産だけでなく、幅広く多角化・多様化させた経営なのである。
PROFILE
森林ジャーナリスト
田中淳夫
静岡大学農学部林学科卒業後、出版社や新聞社勤務を経て独立し、森林ジャーナリストに。森林や林業をテーマに執筆活動を行う。主な著作に『森と日本人の1500年』(平凡社新書)、『森は怪しいワンダーランド』(新泉社)、『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)、『絶望の林業』(新泉社)など多数。奈良県在住。