過去の日本林業は多様性があった──混交林的な森づくりで環境と経済の両立を
2021/10/11
一斉林施業を「王道」だと思っている日本の林業。実は戦前まで一斉林による林業はそれほど多くなく、雑木が多く侵入して多様性の高い森になっていたという。混交林的な森づくりは環境・経済リスクの低減につながる。現代林業の在り方を改めて考え直してみよう。
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日本の林業の在り方は
意外と近年に作られた
日本の近代林業は、明治期にドイツから導入された林学によって骨格が作られた。ドイツ林学と林業とは、18世紀ごろプロシア時代に国力増強のために考え出された木材の生産性を重視した「木材栽培業」として発達した。毎年同じ収穫量と植林を行い循環させる法正林づくりや、生長量を計算して行う森林経理学もその過程で生み出された。
ところが1990年代にドイツ林業は劇的な転換を図る。そこで皆伐は原則禁止となり、択伐によって木材生産を行う。林業は森林生態系に準じて行うと位置づけたのである。それなのに日本は、今も古い「木材栽培業」を続けている。
それでは日本の過去の林業はどうだったのか。実は、戦前まで一斉林による林業はそんなに多くなかったのである。地域性が高く、土地に根付いた施業法が取られていたが、全体的にわりと疎植(1ヘクタール1500本以下)だった。また間伐もほとんど行わなかった。そのため雑木が多く侵入して多様性の高い森になっていた。
一方で密植で有名な吉野林業では、スギとヒノキを混ぜて植えることが推奨されていた。明治時代に発行された『吉野林業全書』には、混植方法が詳しく記されている。土質や日当たりなどの条件によって、どんな割合で植えるのがよいのかを詳説している。スギとヒノキでは生長速度が違うので、そのままだとスギが優占してヒノキを被圧してしまうが、こまめに間伐を行い光量の調節をしてヒノキの生長をうながした。混植することで風水害に強くなることや、木々の生長が増すことを経験的に知っていたのかもしれない。
皆伐はしたが、そんなに大きな単位ではなかった。1ヶ所1町歩(約1ヘクタール)程度で、跡地に造林をすることで森林全体がモザイク状になり異齢林へとなる。それが戦後、効率を重視してスギかヒノキだけを密植する一斉林ばかりになってしまう。
現代でも、混交林的な森づくりを行う林業家はいる。三重県の速水林業のヒノキ林は、秋になると紅葉することで知られている。ヒノキが上層を形作り、その下にサクラやカエデなどの落葉広葉樹が多く入って育っているのだ。こちらは混植ではなく、ヒノキ林に強度間伐を繰り返して林床に光を多く入るようにしたことで、自然と広葉樹などが進入してきた結果だった。
そして、このヒノキ林と隣接する天然林に生えている植物の種類を調べたところ、ヒノキ林が243種、天然林が185種だった。ヒノキ林の方が生物多様性は高かったのである。人工林は生物多様性が低くて生態系が単純と思いがちだが、人の手を上手に入れることで豊かな森林生態系を作り出すこともできる。そして生産されるのは、高級な尾鷲檜だ。木材生産的にも劣っていない。
改めて考え直したい。一斉林施業を「王道」と思っている日本の林業の在り方は、意外と近年に作られたものである。また環境と経済の関係も、一方を重視したらもう一方は犠牲になる……というほど単純ではなく、両立は可能だ。林業は、単なる木材生産業ではなく、今や地球環境にも影響を及ぼす地域の生態系を左右する存在である。その経営には、より広い視点を持って臨んでいきたい。
PROFILE
森林ジャーナリスト
田中淳夫
静岡大学農学部林学科卒業後、出版社や新聞社勤務を経て独立し、森林ジャーナリストに。森林や林業をテーマに執筆活動を行う。主な著作に『森と日本人の1500年』(平凡社新書)、『森は怪しいワンダーランド』『絶望の林業』(新泉社)、『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)、『獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち』(イースト新書)など多数。奈良県在住。