林業と人【前編】ふるさとに根付き、森と人を育てる 「自伐林家」という働き方
2023/10/16
“小さな林業”とは、少人数・小コスト・長期にわたる施業で持続的な森林経営を目指すもの。そのひとつが、今回紹介する「自伐林家」という経営体。東京で、親子で経営を行う自伐林家を訪ねた。
サラリーマンが
自伐林家になるまで
“小さな林業”には、新しく生まれた「自伐型林業」と、日本古来の「自伐林家」の2つがある。
ともに、自分たちで道をつくり、伐採し、市場に出すことが主な仕事だが、2つの違いは、“森林を所有するか、しないか”。自伐型林業は、森林所有者から借りて施業を行い、自伐林家は森林を所有し、自ら経営を行うもの。
今回訪ねたのは、先祖代々の山を所有する自伐林家の中島大輔さん。父の邦彦さんと2人で2013年に『中島林業』を立ちあげている。
「多摩川上流に位置する青梅は、江戸時代、杉並や練馬、世田谷あたりの平野を利用した『四谷林業地』と並ぶ生産地でした。うちも古くから林業を営み、お寺の過去帳では僕が10代目ですが、地元の人に聞くともっと遡れるようです。父の代までは製材所を営んでいました」と中島大輔さん。
新卒で不動産系の大手住宅メーカーに入社し、木造2階建て住宅の現場監督を9年勤めていた。
曾祖父がかつての成木村の村長を務めていたという中島家。実家の建物は、重厚な屋根が目を引く伝統的な木造建築。
「30代になったころに3・11の震災が起こり、将来や仕事について深く考えました。いろいろ悩んで、長男で製材所の家で生まれ育ったのだから木に関わる仕事をしようと、家業を継ぐことにしました」。
父・邦彦さんは、中島さんが小学生だった90年代、国産材価格低迷の影響で製材所を閉め、自伐林家の仕事に取り組んでいた。
「当時は、『大橋式作業道』で有名な大阪の林業家・大橋慶三郎さんの本を読んで独学で始めた人が多く、父もそのひとり。
ところが作業道の開設中に事故で、一人林業をあきらめることに。この頃、青梅の森林組合の組合長を務めていた関係で、6市町村が合併した東京都森林組合に入り、定年まで勤めました」。
林業ひと筋の父の邦彦さん。“林業は空気と水を売る仕事”という思いから「環境林業 成木の森」という会社名を開業前に考えていたそう。
父がフリーになった時期と、中島さんが将来を考える時期が重なり、中島林業が本格始動。
その頃の中島さんの背中を押したのは、東京檜原村の林業家、田中惣次さん。同じく江戸時代から続く林家で、森林経営のかたわら、山の一部を開放して学生らを受け入れて後進を育成するなど、東京の林業を牽引してきた人物だ。田中さんは父の高校の先輩にあたる。
「檜原村は青梅よりも急峻な山なのに、作業道がバンバン入って、道も機械も大きい。田中さんは“青梅の山は丘”と言っていて、『檜原でできるなら青梅でもできる』の言葉に励まされました。
当時の僕は結婚して子どももまだ小さかったですが、突っ走る自分に奥さんがついてきてくれたことも、ありがたかったです」。
この時、中島さんは30代前半。自伐林家としてやっていくために、ちょうどその頃に設立された『自伐型林業推進協会』の会員となった。
「代表理事の中嶋健造さん、作業道づくりの第一人者で知られる岡橋清隆さんには大変、お世話になりました。同じ道を志す仲間とのネットワークが広がったのもよかったです」。
同時に自伐林家のカリスマこと、愛媛で林業とミカン農家を兼業する菊池俊一郎さんとも出会った。この出会いが後の中島さんの大きな転機になっていく。
「森」と「人」を育てる
二本柱で事業を展開
「菊池さんとは、同じ森林所有者で、実家の森を受け継ぐという共通点があったことで、話が合い、師匠としてたくさんのことを教えてもらいました」。
講習会などで全国からひっぱりだこの菊池さんに同行していろいろな地域をまわり、5年ほど技術や心構えを教えてもらったという。なかでも大きな実りとなったのが、中島林業のもう一つの柱となる「森林環境教育」を事業として始めたことだ。
中島さんが2018年に新たに購入したのは、バックホー、グラップルとフォワーダなど。「約1,000万円の費用は、補助金と丸太の売り上げ、貯金から捻出しました」
「2017年に、近所の小学校の裏手にあった、昔の“学校林”を整備しようということで、菊池さんにご指導頂いたことがきっかけです。学校林は東京ではあまり聞かないけど、菊池さんの地元の愛媛では子どもたちが林業にふれてもらう活動をバンバンやっていたんです」。
子どもたちの遊び場にしようと、荒れた山を間伐して整備すると、たくさんの人がやってくるように。小学校の先生向けの講習も行った。
「学校の先生とのつながりができ、うちの学校でも体験教室をやってくれないかというお話をもらいました。先生たちは転勤があるので新しい赴任先でも声をかけてくれ、依頼が徐々に増えていきました」。
父親の代まで営んでいた製材所の建物を活用して、子どもたちの体験教室を行っている。
父製材所の建物には、丸太を運搬したレールが残る。
ある時、中島さんが気づいたのは、大人世代が林業について知らないこと。
最近の小学校の社会の教科書では、林業について10ページにわたってきちんと教えている。が、肝心の先生が林業について知らない場合が多い。これでは子どもたちに伝わらないし、将来、林業で働く人も増えない。
そこで中島さんは、子どもと大人に向けた森林環境教育事業を2020年から本格的に始めた。
ただし、ボランティアでやると、結局続けることができない。きちんとお金をもらい、事業として続けていくことを決意。これまでに青梅市内や23区の小学校のほか、大手企業の見学も受け入れる。
「企業の人に現場の声を伝えるのは重要な仕事です。現場の声が上がっていないから、人材不足など国内林業の抱える問題が解決しないと思っています。企業の人たちは、木がたくさん欲しいと言うけど、丸太1本がどれだけ重いのかなどを体験して、リアルな現場を知ってもらいたいです」。
取材協力
中島林業
mail:narikinomori811@gmail.com
写真/村岡栄治 取材・文/後藤あや子
FOREST JOURNAL vol.17(2023年秋号)より転載